特定の誰かの自由のみを無制限に尊重し続ける体制は、それ以外の人間に一切の自由を認めない専制体制に成り果てる。
ここで述べた「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマは、体制史上何よりもまず最初に中世的な「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」から近世的な「必要にして充分なだけ火器と機動力を装備した常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって賄う主権国家体制(Civitas sui Iuris)」への推移として現れねばなりません。「主権は宮廷=国家側にあるのか、それとも国民側にあるのか?」なる議論が成立するのは、あくまでその次段階なのです。
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